でも実際に何ヶ国語も身についているかというとそうじゃないです。
困ったことに別の言語をやらなくてはならないときにスペイン語が浮かんできたり…並行して勉強するのは難しいと感じました。
ところで外国語学習の中である躓き方をしている人達をみかけました。
その人達の共通点。
@その言葉を話す国が大好き
Aその言葉を話す国へ行った事は当然ある。
Bその言葉を話す国の映画や音楽に詳しい
Cその言葉の単語はかなり知っている
Dしかし、その言葉での会話が苦手
こういう人はあんまり珍しくないように思います。
複数の違う言語の教室へ行った私の感想ですので、多分あんまりはずれてないです。
「好きこそものの上手なれ」はよく言われますが、何かまだ必要なものがあるのです。
そして、その躓く人達を見ているうちに私が感じていた事にある程度はまったのが今回の本。
「外国語を身につけるための日本語レッスン」
私自身が「躓く人達」は何で苦労しているのかと思って見ていて感じていたのは、
「日本語で話す順番と同じに外国語に置き換えても支離滅裂になっている」
という事。
本書の主旨は、欧米の言語教育で一般的に指導されている「言語技術」を日本語で身につけることにより、「翻訳できる日本語」の習得を目指すことです。(「外国語を身につけるための日本語レッスン」より引用)
「翻訳できる日本語」をこの本では「中間日本語」と呼んでいます。
この「中間日本語」はあえていえば、明快な日本語、わかりやすい日本語ともいえます。
トレーニングの方法も勿論のっています。
実際、主語目的語が抜けていて何を言っているかわからない人など普通に日本語でしゃべっていても困る相手は多いです。
せめて話す内容をもっと整理してくれと思うけど、結局そういう話し方が外国語の学習でも出てしまうんですよね。
そして私がこの本で一番びっくりしたのは、76ページの
「みんな」と「私たち」を隠れ蓑に使わない(同じく引用)
というテーマです。
そんなに「みんな」って言葉を日本人一般に使ってるものなんですか。
私はむしろ話し相手が「みんな」を連発すると「みんなって誰?」と聞く方なのです。
これってあまり普通じゃなかったのかしら。としばらく考えてしまいました。
子供の頃から外国文化に接していたり、国内でも色んな地域に住んだ経験のある人などは意外と「中間日本語」に近い話し方が身についているように実感として思います。
それはどんな人にもわかりやすい言い方を心がける、というのが「中間日本語」の第一歩だということかなと思います。
自分は「会話」が苦手だなっていう人にはおすすめ。
(日本語会話ふくむ)
勿論、言葉をある程度知らないと伝えたい事も伝えられないんですけれど。
外国語を話す前に、自分の国の言葉をもっともっと知らなければならないと本当にそう思う今日この頃です。(そういっている私の言葉もかなり怪しいような気がしますけれど)
「みんな」って誰?って私もそう言っている人に突っ込む事、時々ありますよ。
後は、ふう〜ん、といってお茶を濁したりとか(笑)
「みんな」やっているよwと言われると安心する言葉であるけれど、時々…それって違わない?と心の中で思うこともしばしばです。
そんな訳で、そういう意味では安易に使っていない言葉かもしれません。
そうそう、以前書いた記事をTBしてみました。
拙い記事ですがよろしければ見てみてください
「みんな」というのは時には思考停止を伴う場合がある言葉かもね。